訳文で
故鄉鲁迅
井上紅梅樣
竹內好樣
vs
我冒了严寒,回到相隔二千余里,别了二十余年的故乡去。
対照する
わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。
厳しい寒さの中を、二千里の果てから、别れて二十年にもなる故郷へ、わたしは帰った。
隔て:隔开:差别
果て:边界:下场
时候既然是深冬,渐近故乡时,天气又阴晦了,冷风吹进船舱中,呜呜的响,从蓬隙向外一望,苍黄的天底下,远近横着几个萧索的荒村,没有一些活气。我的心禁不住悲凉起来了。
対照する
時はもう冬の最中さなかで故郷に近づくに従って天気は小闇おぐらくなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村あれむらがあちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
もう真冬の候であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい风がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。苫のすきまから外をうかがうと、铅色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。
小闇:灰暗
空模様は怪しく:气候古怪,不稳定
阿!这不是我二十年来时时记得的故乡?
対照する
おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。
ああ、これが二十年来、片时も忘れることのなかった故郷であろうか。
ときどき想い出す:有时回想起来
片时も忘れることのなかった:从来不曾忘记
我所记得的故乡全不如此。我的故乡好得多了。但要我记起他的美丽,说出他的佳处来,却又没有影像,没有言辞了。仿佛也就如此。于是我自己解释说:故乡本也如此,——虽然没有进步,也未必有如我所感的悲凉,这只是我自己心情的改变罢了,因为我这次回乡,本没有什么好心绪。
対照する
わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳よいところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。
わたしの覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。わたしの故郷は、もっとずっとよかった。その美しさを思い浮かべ、その长所を言叶に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、言叶は失われてしまう。やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる。
佳よいところ:美好的地方
美しさ:美丽,美景。
対照する
そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。
そこでわたしは、こう自分に言い闻かせた。もともと故郷はこんなふうなのだ——進歩もないかわりに、わたしが感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は决して楽しいものではないのだから。
“自身解釈”比起竹内好翻译的来说要更中文式一点。
鲁迅故乡日文赏析 周朕_图文 来自淘豆网m.daumloan.com转载请标明出处.