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万里长城日语导游词
长城是世界文化遗产,历史上长城城堡是长城沿线重要的军事类城镇,也是长城防御体系不可分割的组成部分。下面是我为大家带来的万里长城日语导游词,欢迎参考!
万里の長城は雄大(ゆうだい)な古。地質地形が非常に複雑で険しいものです。とりわけ、施工(せこう)作業が極めて困難でした。長城を建築するためには、数学、力学、幾何学(きかがく)、測量学、地質学、建築学などに、構成や運輸など多種類の科学技術を応用しなければなりません。このような巨大かつ複雑な工事が中国古代の労働者によって行われたのみならず、未だに揺るぎないものであるのは、中華民族の限りない知恵と偉大な創造性を表しています。
最後に5つ目の理由は、長城はこの世の奇跡と呼ばれるほどだということです。
世界では古代建築物の七大奇跡があるとよく言われていますが、それは中国の万里の長城以外に、古代エジプトのピラミッド、イラクバビロンの空中庭園、ギリシアのゼウス巨像、ローマのコロシアム、地中海のアポロ像にインドのタージマハールなどを指しています。中でも特に中国の万里の長城は、その雄大さや景色の素晴らしさで国内外の観光客の注目を集めているのです。
関溝と居庸関(かんこうときょようかん)
いよいよ「南口」の近くに来ました。ここは西山及び燕山(えんざん)山脈といわゆる「北京湾」の平原を眺める最高(さいこう)の場所だそうです。この南口から八達嶺までの20キロぐらいの地域は歴史上「関溝(かんこう)」と呼ばれています。漢字は「関(せき)」の「関(かん)」に、「溝(みぞ)」の「溝(こう)」と書きます。ここの地勢は険しくて、昔から、北京から内モンゴル及び西北高原への天然の要塞(ようさい)になっていました。この20キロあまりの山谷では72の景色が楽しめると言われていますが、そのほとんどはもう姿を消してしまいました。
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しかし、その72の景色のなかで一つ語るべき名所があります。それは、居庸関(きょようかん)です。万里の長城の要所(ようしょ)にはみな関所(せきしょ)が設けられていますが、居庸関もその中の一つです。その名は長城着工(ちゃっこう)のため、集められた人々がこの地に移住させられたという意味の「徙居庸徒(しきょようと)」に由来しています。この居庸関は先ほどお話した関溝のほぼ中心にあり、北京から約50キロほど離れています。居庸関は地勢が険しく、昔の北京の西北の入り口とされていた場所で、重要な第一の要衝(ようしょう)でもありました。現在ご覧の関城は明代(1455年)に建築されたものです。当時ここでは、常時五、六千の駐屯軍が守備(しゅび)していたそうです。今は夏になると、蜿蜒(えんえん)と続く山々は見渡す限りの緑に覆われて、実に美しい眺めとなります。八百年前の金の時代から、このあたりは既に「燕京八景(えんきょうはっけい)」の一つとして、「居庸畳翠(じょうすい)」という名が付けられていました。
雲台(うんだい)
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居庸関城の中心に「雲台」という有名な建物があります。1345年に建てられ、6百年あまりの歴史を持っています。雲台の上には三つのチベット式の仏塔(ぶっとう)があったのですが、のち戦火(せんか)で焼き払われ、今は台の部分しか残されていません。台の真ん中にアーチ状の城門があります。その城門のアーチ状の両側の壁には仏教(ぶっきょう)の曼陀羅(まんだら)や四天王(してんのう)のレリーフのほかに、6種類の文字で書かれた経文があります。四天王とは「東方の持国(じこく)天王」「西方の広目(こうもく)天王」「南方の増長(ぞうちょう)天王」と「北方の多聞(たもん)天王」を指しているそうです。6種類の文字とは、漢語、梵語(ぼんご)、チベット語、モンゴル語、ウィグル語と西夏(せいか)語です。これらのレリーフを彫刻した雲台は、純白の大理石(だいりせき)で築かれ、まさに元の時代の彫刻芸術を代表する傑作(けっさく)であると言ってもいいでしょう。
ご覧のアーチ型(がた)。城門の下は道路となっており、、。昔は馬車(ばしゃ)も自由に通れたそうです。
現在は居庸関の雲台及び長城沿いの八達嶺や山海関、嘉峪関などが国の主な保護文化財になっています。
京張鉄道と詹天佑(けいちょうてつどうとせんてんゆう)
関溝を行き来するこの鉄道は「京張鉄道」と呼ばれています。中国ではよく知られている鉄道です。というのは、この線路は中国人自ら始めて設計し、完成させたものだからです。
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